アートオブクンビア arte de la cumbia

リーチのブログです。

新日本プロレスレッスルキングダム@東京ドームに行ってきた

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プロレスを初めて見に行きました

なかなか観戦するチャンスがなかったのですが、今回友人が行くとのことで急いで3000円(2階席立ち見)を握りしめ水道橋に向かいました。お正月(2014年1月14日)の話なんですが…。

 

僕がなぜプロレスを生で(ずっと)見たかったかというと、ブック(本=脚本)のある競技?がなぜ面白いのか、みなの興味をそそるのか、を体感したかったからです。

もちろんプロレスファンの方からすればヤボな話、ということになるのでしょうが、ヤボは承知でございますので失礼。

迫力、技の応酬はとても見応えがあり、5時間はあっというまでした。
しかしいったい全体この見応えってなんなんでしょうか?勝敗はおのずから決着している(しかし今はまだ公開されていない)のになんで面白いんでしょうか?

演劇か

見ているうちにああ、これは演劇か、と思えてきました。
ちょっとスポーティな体を使った演劇、しかも一年を通してのシリーズものの演劇でした。プロレスは脚本があってレフェリーはその台本を進行する指揮者なわけです。
なるほど、などとわかった気になり、周りの観客と一緒になって騒いでいるうちに、こんどは観客の中にも様々な種類の観客がいることに気づいてきました。

観客層

若いプロレスお宅や、古参のお客、温度感的にはかなり熱いガチ目なお客など様々な観客がいます。

しかし子供が真剣に選手を応援してる声を聞いているうちに、だんだん居心地が悪くなってきました。
我々大人はいいんですよ。わかってるから。嘘八百のショーとわかりつつ、技の受け答えや、選手のやり取りを楽しんでいるわけです。
わかってる大人がわかった上でぎゃーぎゃー騒いでるだけですから。
しかし子供達はそのウソの真剣さ、熱さに対して真剣、マジになってしまってるわけです。子供達の声を聞いているうちにこれはちょっと露悪的というか趣味が悪いな、という気がしてきました。ウソとマコトの区別がつかない子供をだましているわけですから。
ところがだんだんと、あ、俺が子供になっている状況もしばしばあるな、と思えて来ました。
社会において周りは大人で冷静に見ているのに、俺だけ子供で、真剣に対象に向けて叫んで熱くなっている場面とか結構あるな…と気付いてきたのです。


ショーや演劇の奥深さ

ショーや演劇、何かを演じることの奥深さはこのあたりにあるのかな、と思いました。
演じている中での役回り、役者に対しての感情移入、そしてその入れ子構造は、私達の社会の中で与えられた自分の役回りを客観的に暴きます。
お正月から良いものを見れて満足満足でございました。