アートオブクンビア arte de la cumbia

リーチのブログです。

クンビアにもいろいろある

クンビアにも色々ある。例えば巷で音を聞いてお、いいな、と思い友達に聞く。

「このシットは何だ?どういうシットなんだ?」

「これはクンビアだ」

「このシットがクンビアと呼ばれるものか」

と、君は思うかもしれない。
しかし適当に検索したり探したりしても、なぜか揃いの衣装を着たおじさんが生演奏でBPM早めにプレイしている動画しか見つけられない。オレが探しているのは打ち込みでBPM遅めのミニマルなものなのに、と君は思うだろう。
それがいわゆるクンビアミスマッチだ。
今回最初に聞いた音楽はデジタルクンビアだった。しかし探せたのはコロンビア箱バン系職人クンビアバンドだったというすれ違いだ。

世界からクンビアミスマッチをなくすために。

金田一耕助の冒険

Amazonプライムでビデオが色々みれるようになったので、パラパラチェックしてて出会った。

 

めちゃくちゃおもしろい。

なんだか出てくるギャグのほとんど意味がわからない。なんかのパロディなのかな、とはギリギリわかるが全く面白くない。

映画内映画や角川文庫への言及などメタにつぐメタなつくり。同じ日本とは思えないほどフラット化していないころの日本人的センスが爆発してる。

 

芸術の根源は模倣だな、と思う。言い換えると、再現力なんだとおもう。

正直ギャグのネタも全然わからないし、センスを飛びすぎててついていけない。しかしなぜかよくわからない説得力やクオリティを感じる。

 

あと強烈なのは金田一耕助の部屋の扉に馬鹿でかくエンジョイコカインの、文字。このギャグには大爆笑。

「シンギュラリティ」後の世界がピンとこない理由

シンギュラリティおもしろい

シンギュラリティの話が面白すぎて、
会う友達友達に「シンギュラリティって知ってる?!」と、
シンギュラリティ後の世界についての話をしまくってる。

実際話している内容は最近読んだ本とNHKのネクストワールドの中に
でてきた内容なので、大してレベルの高い話ではない。

が、結構な割合でみんなピンときてる感じがしない。
なぜこんなにエキサイティングな話なのに、みんな食いついてこないのだろうか、
と思っていたんだけど、その理由の一つに「指数関数的な動きは想像しずらい」ってのがあると思った。

指数関数的な変化

技術的特異点の話をする上で重要な概念に「ムーアの法則」っていうのがある。
ムーアの法則をざっくり言うと、

集積回路の発展は18ヶ月ごとに倍になる”

っていうこと。

例えば最初が1でも倍になるプロセスを14回繰り返すと1万を超える
1→2→4→8→16→32→64→128→256→512→1024→2048→4096→8192→16384

これが指数関数的に増える、ということ。

んで現時点の技術の限界を迎えると、必ず技術的なブレイクスルーが起き、
このスピードは変わらないんだそーな。
(この辺はムーアの法則レイ・カーツワイルが拡大させて、拡大収穫加速の法則と呼んだもの)

金利計算とかにつよい人はこの辺の指数関数的に増えてゆく、ってのが
数字上ではピンとくると思う。

でも技術に支えられてる俺たちの生活全体が指数関数的に大きく、小さく、豊かに、遠くに、なっていく、っていうのが想像しずらい。

指数関数的に変化してゆく生活を想像するのはもっと難しい

たとえばビル一個丸々使ってたぐらいのコンピュータが、
今はスマホでポケットに入ってしまう。
とか、80年台初頭の人たちも想像つかなかったと思う。
ふつーに「や、無理っしょ」みたいなことになると思う。
たとえ想像できてもそれがむちゃくちゃ安く、こんなにも多くの人が持っている生活、
なんてのは想像できなかった。

タダの荷台にエンジンがついて車になる、これは直線的な変化だから想像はすぐつく。
でもその車が2万で買えて、小さくたためて、エネルギーコストが年200円で、
火星に住んでる住民全てが持ってる、とかは指数関数的な発展がないと実現できない。

この辺の「指数関数的に変化してゆく生活」ってのがもっと想像できるようになると、
色々課題が見えてきておもろいと思うんだよな。

新日本プロレスレッスルキングダム@東京ドームに行ってきた

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プロレスを初めて見に行きました

なかなか観戦するチャンスがなかったのですが、今回友人が行くとのことで急いで3000円(2階席立ち見)を握りしめ水道橋に向かいました。お正月(2014年1月14日)の話なんですが…。

 

僕がなぜプロレスを生で(ずっと)見たかったかというと、ブック(本=脚本)のある競技?がなぜ面白いのか、みなの興味をそそるのか、を体感したかったからです。

もちろんプロレスファンの方からすればヤボな話、ということになるのでしょうが、ヤボは承知でございますので失礼。

迫力、技の応酬はとても見応えがあり、5時間はあっというまでした。
しかしいったい全体この見応えってなんなんでしょうか?勝敗はおのずから決着している(しかし今はまだ公開されていない)のになんで面白いんでしょうか?

演劇か

見ているうちにああ、これは演劇か、と思えてきました。
ちょっとスポーティな体を使った演劇、しかも一年を通してのシリーズものの演劇でした。プロレスは脚本があってレフェリーはその台本を進行する指揮者なわけです。
なるほど、などとわかった気になり、周りの観客と一緒になって騒いでいるうちに、こんどは観客の中にも様々な種類の観客がいることに気づいてきました。

観客層

若いプロレスお宅や、古参のお客、温度感的にはかなり熱いガチ目なお客など様々な観客がいます。

しかし子供が真剣に選手を応援してる声を聞いているうちに、だんだん居心地が悪くなってきました。
我々大人はいいんですよ。わかってるから。嘘八百のショーとわかりつつ、技の受け答えや、選手のやり取りを楽しんでいるわけです。
わかってる大人がわかった上でぎゃーぎゃー騒いでるだけですから。
しかし子供達はそのウソの真剣さ、熱さに対して真剣、マジになってしまってるわけです。子供達の声を聞いているうちにこれはちょっと露悪的というか趣味が悪いな、という気がしてきました。ウソとマコトの区別がつかない子供をだましているわけですから。
ところがだんだんと、あ、俺が子供になっている状況もしばしばあるな、と思えて来ました。
社会において周りは大人で冷静に見ているのに、俺だけ子供で、真剣に対象に向けて叫んで熱くなっている場面とか結構あるな…と気付いてきたのです。


ショーや演劇の奥深さ

ショーや演劇、何かを演じることの奥深さはこのあたりにあるのかな、と思いました。
演じている中での役回り、役者に対しての感情移入、そしてその入れ子構造は、私達の社会の中で与えられた自分の役回りを客観的に暴きます。
お正月から良いものを見れて満足満足でございました。

お金関係の本3冊読みました

▶お金について学ぼうと思った

年末になるにつれ、来年はどうしようかと思うことが増えた。 ただ人間のどうしたいこうしたい、なんてたかが知れているもので、 悩みや改善したいことの種類なんてあまりない。

 

今回僕が来年は改善したいな、と漠然と思っていることは経済的なプロブレムについてだ。 ひらたくいえば、とどのつまり金がないのでどうにかしたい、ということである。 さてどうせ3日坊主だろう、何回目の決意だ、と思うかもしれないが、改善の自信はかなりある。

なぜならば今生においてお金についてまじめに考えるのが、初めてに近いからだ。

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